2011年3月13日日曜日

東日本大震災の復興

11日(金)宮城沖、福島沖、茨木沖と最大マグニチュード9.0と世界的にも最大規模の地震が起きました。
ご存知のように東北地方の被害は甚大で、市原市も工業地帯でコスモ石油でタンクの炎上・爆発がありました。
私は、たまたま国分寺台にいたのですが、大きな揺れが起きた直後に妻に電話しました。
このときは早かったのかすんなり電話で来たので大変安心しました。
一番の心配は、コスモ石油近辺で清掃の仕事をしている母でした。
幸い休暇で家にいたので安堵しました。

しかし、朝練に来るメンバー含め近隣で働く人も多く心配でしたが、BBSなどで全員無事とのことでした。
不幸中の幸いです。

今回の地震で24年ほど前に起きた千葉東方沖地震の光景を思い出しました。
あの時も結構被害がありましたが今回はそれ以上です。

12日(土)に国分寺台に宿泊してもらった自分のところの社員を送るべく、まだひどい状態の都内事務所へ向かって行ってきました。
歩いて帰ってくる人たちの憔悴した表情は乗せてあげたいくらいでした。
でも、都内に向かっているので誘えません。
途中の稲毛海岸付近では、液化現象でひどい状態でした。
電信柱の3分の1から半分近くが埋まっています。車が埋まりかけているところもありました。
乾燥した砂が乾いて呼吸するのもつらい状態です。
元に戻るのに、時間や費用などがどのくらいかかるのか。。。
命があったことは本当にありがたいことです。
明日に向かってがんばらねばと都内に向かう車の中で社員と話しながら行きました。

途中で自転車で走る人も多く、こんなときでも自転車が活躍できることが少し誇らしくもありました。
自転車が趣味(若干趣味超えてますが。)で良かった。

都内の事務所は、ラックが半壊して片づけが大変な状態ですが、明日から復興開始です。

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